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山田裕貴の父は山田和利で元プロ野球選手(カープ)!高校で挫折して俳優を目指した理由が壮絶!

俳優の山田裕貴さんの父親は、山田和利さんで中日ドラゴンズや広島カープの元プロ野球選手です。

そんな父親の背中を見て育った山田裕貴さんも、野球選手という夢を追いかけていましたが高校時代に挫折。

野球選手になることを挫折した理由や、俳優を目指すことになったきっかけなどを詳しくまとめました。

山田裕貴の父は山田和利で元プロ野球選手(カープ)!

俳優の山田裕貴さんの父親は、中日ドラゴンズや広島カープの元プロ野球選手の山田和利さんです。

2021年現在は広島の二軍守備・走塁コーチを務めています。

プロフィールを見てみましょう!

山田和利プロフィール&現役時代
  • 1965年6月3日生まれ
  • 愛知県名古屋市中村区出身
  • 1983年 東邦高校からドラフト4位で中日ドラゴンズに入団。
  • 1991年 長嶋清幸とトレードで広島東洋カープに移籍。
  • 1996年 中日ドラゴンズに復帰も、故障により引退。
  • 1997年 コーチ就任

山田和利さんが引退した後は、中日ドラゴンズの二軍打撃コーチに就任しています。

現役引退後
  • 1998年 一軍の内野守備・走塁コーチ
  • 2005年 フロント入り
  • 2011年 広島カープの二軍守備・走塁コーチ
  • 2012年 球団編成を担当
  • 2015年 広島カープの二軍守備・走塁コーチ

現役時代も1試合に3本塁打を記録するなどの活躍でしたが、コーチになってからの活躍もすごいですよね!

56歳という若さなので、まだまだこれからも野球界での活躍が期待されますね。

山田裕貴の夢はプロ野球選手だった!

山田裕貴さんは俳優としての活躍が目まぐるしいですが、実は小さい頃の夢は父親と同じ野球選手でした。

学生時代の山田裕貴さんについてまとめました。

中学時代ピッチャーだった

山田裕貴中学校の卒アル

山田裕貴さんは、父親の後を追いかけプロ野球選手になることを夢見て、小学時代ではリトルリーグに所属。

中学時代は、名古屋市内の公式野球のシニアリーグでピッチャーをやっていました。

 

山田裕貴さんのSNSには、ピッチンング練習で球速142kmを記録したときのものがアップされています。

 

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レギュラーか控えをいったりきたりと言っていた山田裕貴さんですが、現役の選手でもないのに142kmってすごいですよね!

もしプロ野球選手になっていたら、すごい記録を出すピッチャーになっていたかもしれませんね!

父と野球の話は一切なし

山田裕貴

プロ野球選手を父に持つ山田裕貴さんは、学生時代は野球選手として練習に明け暮れる日々でした。

しかし意外にも、父親とは野球の話を一切しなかったようです。

 

2019年5月放送の『しゃべくり007』に出演した際、

いや、一切野球の話ができなくて。

やっぱり自分も野球やっちゃうと、父がライバルみたいな感覚になっちゃって、キャッチボールとかも全然したことがなくて。

教えてもらったことがないですね。

普通の話もできないくらい、ちょっと遠かったというか。僕の中で。

反抗期じゃないですけど、思春期の心の揺れで。

と言っています。

学生時代は思春期だったこともあり、複雑な親子関係だったことが伺えます。

山田裕貴、高校で野球を挫折!

山田裕貴

山田裕貴さんは、高校時代は野球の道へ進まずバレー部に所属。

プロ野球選手になることを諦めた背景には、父親をプロ野球選手に持つ息子としての挫折と苦悩がありました。

山田裕貴さんが雑誌や動画のインタビューで、野球を諦めた理由についてこう語っています。

野球を諦めた理由
  • 上には上がいてプロ野球選手にはなれないのではないかと思い、自分で蓋をしてやめてしまった
  • 褒められたことがなかったから、褒められたかった
  • 近い存在に「父親」という壁があった
  • 「プロ野球選手の息子なのに」と言われたり、プレッシャーがあった

親が偉大すぎると、子供がプレッシャーを感じてしまい挫折するというケースは、よくあることかもしれません。

山田裕貴さんも、本当は父親に褒められたくて同じプロ野球選手を目指したものの、周囲の期待やプレッシャーや自分の実力に限界を見てしまい、挫折してしまったようです。

 

山田裕貴さんの高校時代のイケメンすぎる卒アルや、彼女との初キスエピソードなど、魅力満載の記事はこちらの記事を参考にしてみてください。

山田裕貴が俳優を目指した理由!

山田裕貴

山田裕貴さんがプロ野球選手の夢を諦めて俳優になった理由には、やはり父親の存在が関係していたようです。

野球を辞めたとき、父親にこう言われたそうです。

「お前に野球をしろと言った覚えはない。しかし、自分からすると言ったことを途中で辞めて欲しくなかった。」

 

自分で蓋をして諦めてしまった野球選手という夢。
だからこそ俳優としての仕事は、死ぬまでやり遂げようと誓ったと言います。

そしてその父親を超えるために俳優という道を選んだ山田裕貴さん。

『深イイ×しゃべくり』に出演した際にも、

テレビに出る回数なら父親を超えられるんじゃないかなと思って」

また、2018年11月に出演した『王様ブランチ』では、

「かっこよかったんですよ、テレビで打席に立っている父を見てテレビに出るってかっこいいなっていうのがあって」

 

その言葉通り2011年2月、『海賊戦隊ゴーカイジャー』で見事俳優デビューを果たしました。

山田裕貴ゴーカイジャー

俳優として成功したことも、父親の存在が大きな影響を与えているんですね!

山田裕貴と父との現在の関係

山田裕貴、父親

2021年現在の山田裕貴さんと父親の関係ですが、仲がとても良く、父親の存在が俳優としての言動力になっているようです。

中学まではそんな父に憧れて野球少年だった裕貴さんですが、父のレベルから比べ自分はプロになれないと思い断念。俳優の道を目指したそうです。そんな父親が自分の出演作を見に行ってくれている。道は違えど、父親が自分のことをプロとして認めてくれている。それが俳優としての原動力になっているといいます

引用元:女性自身

 

結果的に父親とは違う道を選んだ山田裕貴さんですが、俳優として成功した現在、とても良好な関係を築いているようですね。

山田裕貴、夢だった始球式で見せた涙!

2018年8月10日、山田裕貴さんが始球式で見せた涙が話題になりました。

山田裕貴さんは、2018年8月10日ナゴヤドームで行われたプロ野球「中日ドラゴンズ・東京ヤクルトスワローズ戦」の始球式に、父親と同じ背番号で登板しました。

 

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俳優を目指してからの夢は「始球式に出でること」だったそう。

始球式前のインタビューでは、13年のブランクがあり100球以上投げ込んだと語った山田裕貴さん。

しかし、見事なフォームでノーバンでのナイスピッチングでした。

山田裕貴、始球式 山田裕貴、始球式

直後のインタビューでは、興奮冷めやらぬ様子で「野球をあきらめて俳優を目指してからの夢が、いつか始球式に登板することでした。今日は父が優勝した時に付けていた『30番』のユニフォームを着させていただいて、母も妹も、そして野球をやっていた頃のチームメイトも見に来てくれました。親父の背中を追いかけていた頃を思い出しました」と思いがけず涙が溢れた。

引用元:https://eigaland.com/

山田裕貴

登板後の山田裕貴さんのTwitterには、こんなことが記されていました。

野球場という神聖な場所に、野球を諦めたからこそ、いつか俳優として始球式という形で戻ってこれたらと夢を見ていました。

この日を迎えられたことで、自分で蓋をしてしまったあの頃の自分を許してあげられた。

野球を辞めてから13年ずっと想ってきたモヤモヤが晴れた気がしています。

Twitterより一部抜粋

 

夢だった始球式に登板できたことで、昔の自分を許しモヤモヤが晴れたという山田裕貴さん。

この時の涙はグッとくるものがありますね。

まとめ:山田裕貴は父親を超えるために俳優になった!

学生の頃は父親と同じ野球選手を目指していた山田裕貴さんは、偉大過ぎる父親の存在によって、挫折を味わい夢を諦めました。

しかし、その父親を超えるために俳優を目指しようやく認めてもらうことができたようです。

現在はとても良好な親子関係を築いているようです。

俳優として更なる高みを目指していくことでしょう。

そんな山田裕貴さんをこれからも、応援していきたいと思います!